1人の主人に捧げて悔いのない忠実を持っている~

query_builder 2023/05/02
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柴犬の名称の起こりには数々の説がある


小さいものをシバといい、例えば、小さい栗をシバ栗りと言いい、竹の小さいものをシバ笹というように、それで

小さい日本犬を柴犬という説、柴くぐることが上手だからという説も、毛色が柴赤だからという説もあり、未だ定説がありません。


小さい中でも素朴で、キビキヒした動作、軽快味、それと小型犬の持つ可憐味が身上なのである。

  体高は牡が38㎝から41㎝、牝が35㎝から38㎝

柴犬は体格が小さいとはいえ、極めて活動的な体軀の構成を持ち素朴でキビキビした軽快味に溢れる動作をし俊敏果敢な性質を持ちいわゆる日本犬的な気性をそなえている。その素朴であまり目立たないが、接すれば接するほど味わいが深まり、また飼育がすすむにつれての情は一層つのってきます。


家庭犬としての柴犬は素朴で素直な性格についてはいうまでもありませんが、1人の主人に終生を捧げて悔いのないという可憐な忠実さを持っています。

また、帰家性の強いことも特記すべきことで40~50kmの道を遠とせず帰家した話は聞いています。その帰家性は、伝書鳩のもつ方向性に匹敵し臭跡の追従によるものではないという証明もあります。汽車、自動車に乗せられて山奥から都会に連れてこられた柴犬が一夜のうちにもとの山に逃げ帰っていたなどの話も聞くところであります。


忠犬ハチ公の話を思い出しました~


あらすじをお話しします


大正12年11月10日秋田県大館市で8匹の兄弟で誕生した牡の赤毛の子犬

大正13年1月14日東京帝国大学(現在の東京大学)教授 上野英三郎氏

 米俵に入れられて東京の上野駅に到着 ハチの価格(当時)30円

大正15年5月21日脳溢血で倒れ、急死してしまう。

 ハチは、その後3日間は何も食べなかった。25日には、故人・上野の通夜が行われたがその日もハチは、上野渋谷駅まで迎えに行ったという。


ハチは日本橋伝馬町の呉服問屋 八重の親戚に預けられる

 人なっこい性格から店に客が来るとすぐ飛びついてしまうため商売にならず。

浅草の高橋千吉宅へ移される。  

しかし、ハチの上野を慕う心は甚だしかったためか、散歩中に渋谷へ向かって脱走することがあり、さらに、ここでもハチのことで、高橋と近所の人々の間でもめ事が起こり、ハチは再び渋谷の上野宅へ戻されてしまう。


渋谷へ戻ったハチは、近所の畑で走り回り、作物を駄目にしてしまうことから、

上野宅出入りの植木職人小林菊三郎のもとに預けられる。今度は、渋谷の隣、代々木(現:渋谷区富ケ谷)上野が死亡してから2年余りが経った(昭和2年)の秋のことであった。この頃から渋谷駅で、上野が帰宅していた時間にハチが頻繁に目撃されるようになった。


ハチは小林にもねんごろに愛育していたにもかかわらず、渋谷駅を訪れては道行く人々を見て、食事のために小林宅に戻ってはまた渋谷駅に向かうということを繰り返していた。

ハチが渋谷駅を訪れる際には、途中の渋谷大向にある旧上野邸に必ず立ち寄って、窓から中を覗いていたという。



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飯高山荘

住所:熊本県山鹿市鹿央町合里5694-2

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